☕ 続いて、阿弥陀は「無量の命、果てのない光」を表す言葉の語幹であり、「我々には量り知ることができない」という意味になります。 お経というのも全部漢文です 「お経というのも全部漢文です。 無批判に受け入れてしまうのでしょうか。
15はじめまして。
😁 永平寺の仏殿には三世仏として釈迦牟尼仏と弥勒仏・阿弥陀仏がまつられ、総持寺の仏殿には、釈迦牟尼仏と迦葉尊者・阿難尊者がまつられ、石川県の大乗寺では釈迦牟尼仏と観音・虚空蔵の両菩薩がまつられます。 ブッダン・サラナン・ガッチャーミーはなぜ長音なの 三帰依を唱和するときには「ガッチャーミー」と伸ばしますが、元のことばは「ガッチャーミ」と、「ミ」は短音です。
8そして「南無妙法蓮華経」と「南無阿弥陀仏」の二つを例として挙げています。
🖕 ここでのみ仏の教えを受けられ、輪廻から脱出できる可能性がある。 阿弥陀様の名前は、サンスクリット語で「アミターユス」と「アミターバ」という2つの名前があります。 南無というは、棄てても棄てても、ついて来おった袖乞いが、消えて無くなった心なり 南無というは、耳の聞こえぬ者が立ち聞きして、あかなんだと聞き得た心なり さて、日本の仏教徒のほとんど全体に普及している「ナムアミダブツ」というお念仏も結構なことではありますが、永平寺開祖、道元禅師は『唱名はある一つの仏さまの御名に限るには及ばない、十方(東西南北・北東、北西、南東、南西・上下)の全世界に三世(過去・現在・未来)にわたって、それぞれ無量無数のみ仏がましますのであるから、「 南無三世諸仏(なむさんぜしょぶつ)」とお念仏するのが良い。
ちょうど、娘と結婚すると嫁といわれ、 子供が生まれると母といわれるようなものです。
💙 阿弥陀如来=南無阿弥陀仏 (真宗の味わい) 第1001回 阿弥陀如来 = 南無阿弥陀仏 平成24年 3月 29日~ 新しく出来た 浄土真宗必携 「み教えと歩む」(本願寺出版社発行) の中にこんなところが ありました。 分かりやすく言い換えると、「阿弥陀様に、全てお任せします」です。 それに対して親鸞聖人は、南無阿弥陀仏とは「この阿弥陀に帰依しなさい、 まかせなさい」という、阿弥陀如来から私に向かってのよびかけであると、 一般の考えとは 反対方向の意味があることをあきらかにしてくださったのです。
10親鸞は「阿弥陀仏」を本尊とし、名号は六字のほかに九字(南無不可思議光如来)、十字(帰命尽十方無碍光如来)の名号を書いている。
✋ 「お念仏申そう」という気持ちが思い立ったこと、そして実際に「お念仏申せた」ということ ここに思いを馳せていただきたいのです。
18その結果、その話はまったく根拠のないものとなってしまいます。
🤞 その二〇一五年の八月号に、東京速記士会創立六十周年記念特別講演会で講演した作家の辻原登氏の「文化の裏に速記あり」という題の講演記録の後半部分が載っています。 虚子の辞世の句は、句仏上人十七回忌の時(昭和三十四年)に詠んだ、「独り句の推敲をして遅き日を」が知られている。
19仏様は、哲学者、一般人が考えたような宇宙が誕生して138億年という計量出来るようなちゃちな如来様ではありません。
😀 この文の意味がわかりますか。
4ですから「南無妙法蓮華経、南無阿弥陀仏の漢字は、何となく意味がありそうに見えて、意味がない。