♻ 「高師の浜」は、現在の大阪府堺市の海岸で、「高師」は「(音に)高し」との掛詞になっています。
6孝和4年(1102年)閏5月に開かれた『堀河院艶書合(ほりかわいんけそうぶみあわせ)』で歌われた歌だが、『艶書合(けそうぶみあわせ)』というのは貴族・女房らが和歌を通した一次的な擬似恋愛の感覚を楽しむための歌会であった。
👈 現在では残念ながらこの辺りは埋め立てが進み、平安の風雅をしのぶ風情はありませんが、松の姿にこの歌を思い出して見るのもよいでしょう。
19【袖のぬれもこそすれ】 「袖が濡れる」というのは、涙を流して袖が濡れるという意味が あり、恋愛の歌でよく使われます。
😜 旧熊野街道沿い。 高師の浜(現在の浜寺公園付近)の松が薪や材木として伐採されることを嘆いた歌である。 こういう 陶酔は恋の香水、 すっぴん強要されるおぼえは、ありません・・・でも男子は、香水だの 陶酔だのに走って素顔が見えないヒトじゃ、ダメ。
16「お」から始まる二字決まりの歌は二首 「お」から上の句が始まる歌は全部で7首あり、そのうちの四首が二文字目でわかる「二字決まり」の歌です。
🙌 ・・・女なら、バシッと決めてみたいと思いません?・・・カッコ(だけ)つけて女に言い寄って来て、これだけキメればバッチリ、もうオレのもの、みたいな 自己陶酔でこっちを既にもうおいてけぼりにして自分だけ先走ってるのにも気付かないで、「さぁ、早く、おいで」みたいな顔してるイヤなオトコのニヤけた横っ面を、言葉の 平手打ちでピシャーんってはねつける、優雅なる護身術としてのこの袖歌・・・うーん、うっとり。 周りには、高貴でそこそこ魅力的な男性が沢山いて、出会いや誘惑も山ほどあって、それなりに 持て囃されて、アソばれちゃう危険もあるけど、いざという時にはこういう歌できれいにキメちゃえば、男性からの冷やかしも 腕枕も 徒波も、 お行儀よくすごすごと退散して、上品な笑い話になっちゃう。 「も・こそ」はそれぞれ係助詞で、複合すると後で起きることへ の不安を意味します。
13袖が濡れると困りますから。
🙃 『小倉百人一首』072 おとにきく たかしのはまの あだなみは かけじやそでの ぬれもこそすれ 一宮紀伊(いちのみやのきい) aka. 【高師(たかし)の浜】 和泉国(現在の大阪府南部の堺市浜寺から高石市あたりの一帯)の浜です。 御子左家は、の子長家がの皇子の邸だった御子左第(みこさてい)を譲り受けたことに始まる和歌の家柄です。 袖が濡れますからね。
20先行する藤原 俊忠が、まずこう詠み掛けます: 人知れぬ思ひありその 浦風に 浪のよるこそ言はまほしけれ 心(・・・「うら」と読めば「浦」と同音で、そのよしみから間接的に「波」へとつながる「 縁語」)の底に人知れず 貴女への思いを寄せてきたこの私ですが、今日という日の夜(・・・よる・・・を通して「寄る」経由で「浦・波」へとつながる「 縁語」)こそは、 貴女にその思いを伝えたく思います。
🐝 恋する想いが嵩じて涙を流す ということですね。
6荒磯(ありそ)の浦風に波が寄せるように、夜にあなたに話したいのですが) 「寄る」と「夜」、「(思い)ありその」と「荒磯(ありそ)」を掛けた技巧的な歌ですが、これに対して答えたのが、紀伊の歌でした。
😄 すぐに捨てられて涙で袖が濡れてしまいますよ。 俊忠「人知れぬ 思いありその 浦風に 波の夜こそ いかまほしけれ」 人知れずあなたが好きでした。
9018] 【今回の歌】 祐子内親王家紀伊(72番) 『金葉集』恋下・469 音に聞く 高師 (たかし)の浜の あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれ 前回に引き続き恋の歌です。