⚓ ネタバレありです。 伝説のジャズ・ミュージシャン、チャーリー・パーカーが鶏肉が好きで付いたあだ名「バード」にちなんだ名前にしたかったのでした。 一方でセブは、ミアの一世一代の大勝負の舞台の時間に、バンドの雑誌撮影のために間に合わず観ることができませんでした。
彼女の名前はミア。
セブの場合 セブもまたミアと同じ状況にあります。
⚐ 作品自体は2回観に行っても素晴らしかったんですが、物語は少し忘れたくらいに観る読むくらいがちょうどいいなって。
ミアは鏡に映る自分を見ながら、『誰かに自分の知らない私を見つけて欲しい』と歌います。
しかし、こうした解釈は僕個人としては、この映画の本質に届いていないように思います。
「インターネット」はあまり出てこない。
⚔ 2度目の出会いは、ふと立ち寄ったジャズバー オーディションから帰宅するミアは、バスルームで一息。 オーデションに合格したミアとともにパリへ行き、そこでピアノの仕事を見つけるセブ• プールサイドのお遊びパーティバンドで、赤い服にキーボードギターで演奏中だったセバスチャン達に、「I RAN」をリクエストしました。 しかし。
6現実を生きる中で物語が求められ、物語の喜びが私達の現実を支える。
実際に関係自体に終止符を打ち、二人が別々の道に進んだとしても、お互いを思い合う気持ちがあるならば、それは愛なんだ。
しかもミアとセブは、映画館の座席でキスまでしようとするのですから……(フィルムが燃えたので、結局そこではキスはできませんでしたが)。
卒業後の2010年、2人はロサンゼルスに転居して脚本を執筆し続けたが、舞台をボストンからロサンゼルスに移すなど若干の修正が加えられた。