⚒ 犯人は伊東に違いなかった。 それが、親米派の某人物の亡命資金として、アメリカに渡されたのではないかと臭わせているのだ。
3添田が、ますます野上の死に疑問を持った頃、久美子の周辺に奇妙な出来事が続いた。
😆 岩にくだける白いしぶきを見つめている久美子に、東洋的な顔だちをした白髪の紳士が近づいた。
10「海がお好きですか」「はい……あなたも?」まじろぎもしないで紳士を見ている久美子。
☘ 脚本は星川清司、監督は脚本も執筆している「メス」の貞永方久、撮影は「再会 1975 」の坂本典隆が、それぞれ担当。 その後、改めてかかって来た電話に出た久美子は、聞き覚えのない声で「お父さんから連絡あったか?」と意味不明の言葉を一方的に言われ、電話はすぐに切れてしまう。
17元公使館付軍人、伊東が訪問したのもこの頃だった。
👌 大和路は久美子の亡き父・野上顕一郎がこよなく愛した処であり、彼女は亡父に自分の第二の人生の出発を告げに来ていた。 古風な躾で育てられてきた。 大戦末期に某中立国で亡くなった叔父の筆跡がなぜ? 節子はそのことを身内に話すも、誰も取り合ってはくれない。
4野上は、自分が戦時中にやった和平工作は、日本にとって何だったのだろう、ほとんど役に立たなかったのではないかと自問する。
😎 伊東忠介 大戦中にスイス公使館付武官陸軍中佐の地位にあり、現在は大和郡山市で雑貨商を営む。 二人は帰京すると、久美子の母・孝子にこの事を話すが、とりあってくれない。 それは、中国の古人・米帯の書に習った筆跡で、特長のあるものだったのである。
8二つの寺で、芳名帳に「田中孝一」と記帳されているのを発見した。
🤚 伊東の所在を聞かれた村尾は、知らないと答え、当時の人のその後を聞いて何になるのかと逆に問いかける。
戦中、戦後史に興味のある観客には、それなりに興味深い内容かも知れないが、その辺の知識に疎いものには、家族や家族愛の意味を考えると言ったテーマ以外に、これと言った映画的な見せ場がある訳でもないので、かなり退屈な展開となっている。
☢ 添田は、君の気持ちも分かるが、お父さんの方は、その10倍、20倍苦しんでいると思うと言う。
10私の「無明庵」でも記述した「ヤルタ協定」の密約を正確に知らせた陸軍武官「小野寺信」もスウェーデン駐在の陸軍武官で、協力者はポーランド人だった。
🌭 野上は滝と当時を回顧していた。
3そして、その人物の事を、野上が嗅ぎ付けたのではないかと言うのだった。
💔 関西での取材を終えた新聞記者添田は、大和路で婚約者の野上久美子と合流した。
4久美子の父・顕一郎は、第二次大戦末期、ヨーロッパの某中立国公使館で、一等書記官を務めていたが、終戦一年前、任地で病のため客死した、と当時の正式な公電によって伝えられている。