😁 「ホンダらしいなぁ……」などと当時は思いもしなかったが(先にも述べたように比較対象はCB50Sと教習車くらいだったワケで)、250ccもある排気量という気負いを忘れさせる柔軟さはよく覚えている。 けれど、今ではステンレス製のディスクローター&高性能パッドの組み合わせでそれ以上の性能とタッチを実現しているから、消滅したメカニズムだ。
19フロントブレーキにはインボードディスクを採用。
😈当時原付50ccと教習車くらいしか経験がない自分には比較する引き出しは無いに等しかったが、力強いモーターのようだと感じた。 ともあれ私は、最新鋭250のオーナーとなった。
12明るい車体色と赤いフレームが鮮やかで、ビキニカウル(当時の法規上「メーターバイザー」という扱いだった)に埋め込まれたウインカーも斬新。
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11VT250Fの場合、「16インチホイール」に感じた少しの違和感 かくしてド初心者ライダーは徐々にVT250Fに慣れていったものの、フロント16インチには自然な感じはしなかった。
🤗 ドライヤー• 実際、2サイクルのヤマハRZ250に匹敵する数値だった。
「ナナハンキラー」の異名を与えられたのはRZが先だが、4サイクルのVTは1万rpm以上回る水冷Vツインで大排気量車を追い回せるんだと。
☢ コインランドリー• 性能に慣れてしまったことと同時に、ほぼノーメンテで走っていたマシンは徐々に調子を落としていたのかも。 幸いにも当時の250ccクラスは活況を呈しており、その急先鋒がヤマハRZ250、ホンダVT250Fだった。 過渡期の技術と言えば16インチホイールも同様で、これは80年代前半の世界GPからのフィードバックだった。
11米沢自動車学校の敷地内にある宿泊施設です。
♨ ただしVT250Fは第一希望ではなかった。 乗っているライダーは中免取り立て。 1982年当時、VT250Fの新車価格は39万9000円で、年間販売計画台数は3万6000台だった。
19これには結局MVX、NS、次いで大成功を収めたNSR250Rと2ストレプリカ開発を進めたホンダの展開も影響しているが、所期の目的「4ストで2ストに勝つ」がフェードアウトしていくように、VTは高性能路線から脱落していくのだった。