🤪 「同級生交歓」『』2013年9月号、p. 『東京裁判の教訓』()2008年• 18年の秋であったか、ある新聞での対談の後に新聞記者を交えて一献を傾けたことがあった。 各論から総論を想像してくれ、あるいは各論を積み重ねることで、そこにひとつの像が出来上がっていくと暗に意思表示しているのかもしれない。
1『志に生きる! 墨子は戦争の時代に、「不攻」という論稿を発表している。
👈 戦争に行きつく芽を刈り取る、そういう要因を作らないとの意味も含んだ哲学であり、思想であり、道徳律である。
13『六〇年安保闘争』(講談社現代新書)-1986、(中公文庫)-2007• > 当時の無線機が本当にそれだけの「声」を基地まで届けられたのだろうか。
🙃 この特攻兵器の搭乗員として訓練中に亡くなった学徒兵(東大生)は、 機器が故障し、海中で一時間程閉じ込められたままで亡くなっています。 『の戦争』()2018年• 僕は、二・二六事件を取材調査した松本さんのように実証的な仕事をやろうと思ったんです。
2』 陳沢禎、-1995年• (<特別編>(3)に続く。
🤗 これは私との雑談でも何度か繰り返していた。 ごく当たり前の常識の問題なのである。 同志社大学文学部卒。
18『死なう団事件』を出版した版元の社長が、「松本清張さんの推薦文をもらおうと思ってゲラをわたしている」と言う。
🤟 『対論 昭和天皇』 と対話、文春新書-2004年• 『あの戦争から何を学ぶのか』(講談社文庫)-2005• その解釈や判断はそれぞれがすればいい。
13第9集『妻と家族のみが知る宰相』2010年• 131• これ以降は、もう当事者が語る戦争体験(とくに戦場体験)は消えていくことになると思います。
🐲 ところが話す人たちが次々と鬼籍に入っていく。 メディア出演 [ ]• 私的な話になるのだが、私も半藤さんも現在の憲法については独自の考え方をもっていた。
15流石は殉死された黒木博司少佐、樋口孝少佐のお二人が十二時間生存していたことからわかる様に、十時間以上活動出来る酸素が艇内にあるという回天の構造も知らないくせに赤い渡辺恒雄とともに下記のような事をホザイタだけのことはあります。
🤚 つまり戦後70年とは、戦争体験者自身が戦争を語りうる最後の機会と言っていい。 ある時、なかにしさんがゲストスピーカーで、シンポジウムにも出席してもらうために、北海道新聞の関係者となかにしさんと会食の席をもった。 殉死された黒木博司少佐、樋口孝少佐のお二人が十二時間生存していたことからわかる様に、十時間以上活動出来る酸素が艇内にある。
、個人誌『昭和史講座』の刊行で第52回受賞。
🤘 中公文庫 2013年• 昭和傑物伝』(江口敏 )-2003• 自分の人生は自分が責任を持つとのその考えに、私は納得した。 その後、物書きを志して転職したで編集者生活を送る。
その折に、がんとの戦い、戦争体験(旧満洲からの引き揚げ体験)、さらには昨今の憲法の骨抜きなどへの強い不満の声を聞いて、私も共鳴するところが多く、そのような話をぜひ北海道の読者に聞かせるべきだと説いた。
🤣 『昭和の戦争 保阪正康対論集』 朝日新聞社-2007年、朝日文庫-2009年• 『日本の医療 バラ色の高齢化社会は崩壊するか』 (朝日ソノラマ)-1989. 『あの戦争になぜ負けたのか』 文春新書-2006年• 、を卒業。
52004年に菊池寛賞受賞。