学問 の すすめ。 福沢諭吉 学問のすすめ

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😈 還暦でライフネット生命を創業し、古希で立命館アジア太平洋大学学長となった著者が、学ぶことの面白さや大切さと、学ぶことをやめてしまったらどうなるかを、歴史や哲学、科学、経済などに関する豊富な知見から書き下ろした待望の新刊。 もし人民が暴政を避けたいならば、すぐに学問を志し、自分で才徳を高めて、政府と相対して、同意同等の地位に上がらなければいけない。 日本とても西洋諸国とても同じ天地の間にありて、同じ日輪に照らされ、同じ月を眺め、海をともにし、空気をともにし、情合い相同じき人民なれば、ここに余るものは彼に渡し、彼に余るものは我に取り、互いに相教え互いに相学び、恥ずることもなく誇ることもなく、互いに便利を達し互いにその幸いを祈り、天理人道に従いて互いの交わりを結び、理のためにはアフリカの 黒奴 ( こくど )にも恐れ入り、道のためにはイギリス・アメリカの軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては日本国中の人民一人も残らず命を 棄 ( す )てて国の威光を落とさざるこそ、一国の自由独立と申すべきなり。

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💙 諭吉の主張の根底には「人間は独立して生きるべきだ。 『』福澤諭吉、1880年7月、2版。 近く両三年以前、フランスとプロイセンとの戦いに、両国接戦のはじめ、フランス帝ナポレオンはプロイセンに 生 ( い )け 捕 ( ど )られたれども、仏人はこれによりて望みを失わざるのみならず、ますます憤発して防ぎ戦い、骨をさらし血を流し、数月籠城ののち和睦に及びたれども、フランスは依然として 旧 ( もと )のフランスに異ならず。

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☮ 19才のときには、長崎でオランダ語を学び、 砲術などの技術を学び、鉄砲の設計図を書ける レベルになりました。 また政府が圧政を行なった場合の対応として武力を否定し、を提唱する。

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📲 普遍的真理を探求し、ブッタのごとく我執を追放し理想的人間像を作り上げる人もいる。 今の世に生まれ報国の心あらん者は、必ずしも身を苦しめ思いを焦がすほどの心配あるにあらず。 学問は、日常の生活に必要なソロバンや文章の書き方といった基礎的なものから出発し、究極的には「天の道理」を身につけるところに、本来のその意義があるのです。

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👉 私も学者としてこの先駆けとなり、文明は国民が起こすものだという事を示そうと思います。

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👌 これすなわち学問の急務なるわけなり。 学問はただ難しい本を読めば良いというものではありません。 政府もし人民の 公事 ( くじ )訴訟をもってお上の御厄介と言わば、人民もまた言うべし、「十俵作り出だしたる米のうちより五俵の年貢を取らるるは百姓のために大なる御厄介なり」と。

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⌛ ただ、限度がなく、道理を外れて、金を得る方向を誤り、道を踏み外すのは、欲張り・ケチ。 無理ならぬことなり。

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🤙 地理学とは日本国中はもちろん世界万国の 風土 ( ふうど )道案内なり。