👣 ここでの「恐怖」とは、仏教的な意味なので、苦や、さらに広く捉えて成仏できずに輪廻することに対する恐怖心のことを表していると考えられます。
9色はすなわち空である。
💋 5 繰り返すこと、とにかく繰り返すこと 数語あるいは一節を区切りとして声に出して繰り返します。 しかし真実としては、自分というものは存在しない。 目的を達成するための手段が目的となってしまっています。
18分析を進め、集中力もついてくると、しだいに言葉のない状態で洞察を行う「止」と「観」が一体の瞑想になり、直観的にあるがままを認識する「空」の智慧が生じます。
☢ 一言でいうと、認識の働きも、認識の対象も、認識の主体も、実体がないということです。
12でも、あらゆることが空であることがわかり智慧を完成させたら、そもそもそんな妄想なんてしなくなって、怖い・苦しいという感情や悩みなんてなくなるんだと言っているのです。
😅 般若心経全文 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 かんじーざいぼーさつ ぎょうじんはんにゃーはーらーみたーじー 照見五蘊皆空 度一切苦厄 しょうけんごーうんかいくう どーいっさいくーやく 舍利子 色不異空 空不異色 しゃーりーしー しきふーいーくう くうふーいーしき 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是 しきそくぜーくう くうそくぜーしき じゅーそうぎょうしき やくぶーにょーぜー 舍利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 しゃーりーしー ぜーしょーほうくうそう ふーしょうふーめつ ふーくーふーじょう 不増不減 是故空中 無色 無受想行識 ふーぞうふーげん ぜーこーくうちゅう むーしき むーじゅーそうぎょうしき 無眼耳鼻舌身意 無色聲香味触法 むーげんにーびーぜっしんいー むーしきしょうこうみそくほう 無眼界 乃至無意識界 無無明 亦無無明尽 むーげんかい ないしーむーいーしきかい むーむーみょう やくむーむーみょうじん 乃至無老死 亦無老死尽 ないしーむーろうしー やくむーろうしーじん 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 むーくーしゅうめつどう むーちーやくむーとく いーむーしょとくこう 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 ぼーだいさったー えーはんにゃーはーらーみたーこー 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 しんむーけーげー むーけーげーこー むーうーくーふー 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 おんりーいっさいてんどうむーそう くーぎょうねーはん 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 さんぜーしょーぶつ えーはんにゃーはーらーみーたこー 得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 とくあーのくたーらーさんみゃくさんぼーだい こーちーはんにゃーはらーらーみーたー 是大神呪 是大明呪 是無上呪 ぜーだいじんしゅー ぜーだいみょうしゅー ぜーむーじょーしゅー 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚 ぜーむーとうどうしゅー のうじょーいっさいくー しんじつふーこー 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰 こーせつはんにゃーはーらーみーたーしゅー そくせつしゅーわつ 羯諦羯諦 波羅羯諦 ぎゃーてーぎゃーてー はーらーぎゃーてー 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 はらそーぎゃーてー ぼじそーわーかー 般若心経 はんにゃしんぎょう 般若心経の流れと内容 上記で紹介いたしました般若心経の全文を、現代の言葉に訳すと次のようになります。
10) 「菩提」とは仏教用語で悟りを得た状態を意味し、「薩埵」とはまだ悟りを得ていない者を意味します。
😋 般若心経は、真言宗・天台宗・禅宗を中心として、仏教の多くの宗派で読まれています。
19お経を暗唱することで、あるいは意味を理解することで、私が何かよりよい私になるということはありません。
😛 なぜなら、仏教は1,500年もの間、私たちの生活に溶け込んで受け継がれてきたものであり、僧侶であるお坊さんがその教えを伝えてきたからです。 例えば、米という結果を得るためには、因はモミダネです。
2その五蘊は「 皆空」である、というのが「 五蘊皆空」です。
🤫 故知 こち、 般若波羅蜜多 はんにゃはらみった、 是大神呪 ぜだいじんしゅ、 是大明呪 ぜだいみょうしゅ、 是無上呪 ぜむじょうしゅ、 是無等等呪 ぜむとうどうしゅ、 能除一切苦 のうじょいっさいく、 真実不虚 しんじつふこ。 (ふせ)• 次に写経、つまり 書き写すこと。 この、 「存在は変化を繰り返す」という真実には、「無常(むじょう)」という言葉を当てるとしよう。
18何かを一生懸命することも大事ですが、目的を忘れず、「中道」という程よい状態で努力をしないといけないということです。
🎇 いかに「 色と空が同じ」ということが智慧の完成のために大事かということがわかりますね。 智慧も所得もない 次に「 智もなく、また得もなし。 ご真言の唱え方が分からない場合は、電話で教えてもらっても良いと思います。
7遠離一切顚倒夢想 究竟涅槃 (おんりいっさいてんどうむそう くぎょうねはん) 人は普通、自分のことは自分でしていると思っていることだろう。